悲劇の食パンと習慣の弊害

朝食にツナマヨコーントーストを作り、いざ万全の焼き加減で取り出そうとしたところ、トースターの内部に手が触れて「あっつ!」と反射的に手が動き、その加減で手に持ったトーストがひっくり返り、上に乗っていた具がものの見事に落ち、残ったのはツナとマヨの混合油が染みた食パンのみでさみしい思いをしたLiQです。

春だし、寝起きでまだ指先がぼーっとしてて、目測を誤ったんでしょうねえ。

…春だからと言い訳をつければなんでもショックが和らぐ気がしたのですが無理でした。

ツナは1回分しかなかったのです。パンも既にこんがりキツネ色だったし、再度何かを乗せて焼き直すことはできませんでした。でもちょっとバター足したら十分おいしかった。

おまけにトースター内部のお皿を綺麗に洗う機会にも恵まれました。よかったよかった…なんてあきらめきれないよ!

何かをするときは目の前の作業に集中しないとだめですね。

考えてみると、無心で目の前のことをやるというのは想像以上に少ないことに気が付きました。

日常生活は同じようなことの繰り返しで、繰り返しの行動は習慣になります。

習慣となった行動なら体はほぼオートで動くものですから、頭はついほかのことを考えてしまう。

ほかのことを考えていても、その行動は問題なく完了できてしまう。

ただ今回の悲惨な事件でわかるように、目の前のことに集中はしていないので、ミスと隣り合わせではあります。

ぼーっとしながらパンを焼いていたら、熱くなったトースターに不用意に手をつっこんで火傷する。

よそ見をしながらお皿洗いをしていたら、水切りの時に蛇口にグラスをぶつけて割る。

食後の薬やサプリを飲んだかどうか忘れて、二度飲んだり、飲み忘れたりする。

いくらでも具体例は出ますが、すべて体の動きと頭のはたらきが一致していないために起こるミスです。

習慣化することは、取り掛かるまでに気合が必要なもの(運動や学習などのスキルトレーニング系)をスムーズに日常に取り入れるためには有効ですが、一方でこのような弊害もあるのですよね。

ただ自分の注意力散漫といえばその一言ですむ話なんですけども。

いまやっていることにきちんと意識を傾け、粛々と五感をはたらかせて取り組む。

自分の行動を自覚する。よけいなことを考えない。

それはある意味瞑想の一種にも似ていると感じました。

ちなみに後日ツナマヨトーストは無事リベンジを果たし、おいしくいただきました。

朝はパン派。



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